
稼ぐことがアート、良いビジネスは最高のアート
1960年代のアメリカンアートを代表するアンディ・ウォーホルは、ポスト・アヴァンギャルドの最初の芸術家です。
アンディ・ウォーホル情報をざっくりと
Andy Warhol(1928年- 1987年)ペンシルバニア州出身、チェコ系アメリカ人、幼いころから病弱で貧しい家庭で育ちました。
大学では広告芸術を学び、卒業後は、ニューヨークで商業イラストレーターとしてキャリアを築きます。
当初は、ハンコに絵を掘り大量に同じデザインを創ったり、画像をコピーするなどをしていましたが、
これをアートでやってみよう!と閃き、そのあとすぐにシルクスクリーンを使用。デザインを大量生産して、
それを「アート」に取り込みました。「キャンベル・スープの缶」「マリリン・モンロー」「毛沢東」などが有名ですね。
ウォーホルが活躍した1960年代アメリカの時代背景
ケネディ大統領暗殺事件、キューバ危機、新公民権法成立、ベトナム反戦集会、月面着陸、
そして、1970年代に起きるベトナム戦争へ導かれるように、社会全体が不安定になり始めた時代でした。
産業界では、大量生産が可能となり、店舗で「売り切れ」という言葉は無くなり、消費文化が根付きました。
このような市場の経済状況はウォーホルの作品に強く影響していきます。
ウォーホルのアートに対する考え
- 広告用のアートでは無く「アート」として広告を作ったので、大衆が話題にする事をモチーフにして創作
- 「商品」として人間の顔を大量に複製することに興味を持ち、強いイメージ作りをした
- 同じモチーフを繰り返し大量生産するのは、当時の社会文化を深く反映している
- アートを流れ作業で大量生産し、新しい価値を生み出しながら、市場経済を見て活動する芸術家
- 作品について話すことは少なく、「周りが自分を勝手に褒めてくれる事に満足している。作品の表面だけ見て欲しい、
裏側には何もないよ」とメディアで話したことがある - 5年間に60本以上の映像制作をしたり、演劇脚本や小説執筆や雑誌発行にファクトリーのオーナー等、様々な肩書を持ち、
「稼ぐことがアート、良いビジネスは最高のアート」と述べ、内面は見せなかった - 同じイメージを重ねる事でインパクトを出し、マリリン・モンローをモナリザと同等の高見へ引き上げた
- マスメディアを利用する方法で名声が生まれることを彼は理解して、そのように振舞っていた
- 60年代の芸術的要請に相応しく、ウォーホルはアートと生活を結び合わせた
1960年代は大量生産や消費がもてはやされ、社会全体で価値観が変わった時代です。
個人的に、ウォーホルの作品や技法に特に芸術を感じることがありません。
というのも、本人も生前、「周りが自分を勝手に褒めてくれる事に満足している。作品の表面だけ見て欲しい、裏側には何もないよ」と述べています。
ウォーホルの作品を観た時、「お洒落なアメリカンアートじゃん」、それが正直な感想です。
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